一昔前には,ウォークマンをみんなが着けて,街中で音楽を気軽に聴くことなど考えもしなかっただろう。それと同じく,街中で小型ウインドウの中の本を読むことを今は考えられない。だが,きっとその日が来ることを,今の世の中から読み取ることができる。
インターネットなどからデータを取り込み,パソコンや携帯端末で読む電子書籍が活気づいている。アメリカではオープンeブック規格が制定され,環境が整った。日本でも,450タイトルを販売している光文社電子書店,ボイジャー社のT-Timeを利用した青空文庫などで,電子書籍が提供されている。電子書籍なら一瞬で全文検索が可能で,居ながらにして本を買える。本を買いすぎて本棚があふれることもなく,重さがないので何冊だって携帯できる。石油不足で紙の本の生産が制限されることも考えられ,電子書籍への需要は高まりそうだ。
紙の文章をそのままデジタルに持ってきて,定着するものとは思えない。大きな違いとして,紙の文字は反射体である。紙に強く強く染みついて釘付けられている。対してモニタや液晶パネルの文字は,発光体。常に拡散し,チラチラと動いているのがわかる。その違いは大きいはずで,発光体には発光体にあった文学や文章があるはずだ。まだ人は,デジタルで読むための文体を生み出していない,のかもしれない。
人間は,紙の本に対して一種のフェティシズムを抱いている。その厚み,その手触り,その匂い。古本屋はリサイクルのためだけでなく,蒐集されるべき本それ自体に価値が見いだされている。紙の本は決してなくならない。だが,デジタル読書の扉は開かれている。デジタルに合う文体が見つけられていき,フェティシズムを生むような端末,またはフェティシズムを超えるような便利さを持つ端末が開発されていくこと。これが紙の読書から,デジタル読書へとうながす「鍵」であると思うのだが。
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